「麻痺の手が動く気がする阿波踊り」ひのみね療護園内 村上哲史(スローアート協会・ゆるい展世話人)

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 「へい、いらっしゃい!」
 「缶ピール20とジュース30本。ジュースは適当にいろいろ」とお客さん。 二人とも喉が潰れんばかりの大声である。そうしないと、鉦や太鼓の音が大きすぎてお互いの声が伝わらないのである。 ボクが生まれた家は、徳島市の両国橋通りと紺屋町の角っこにあった。今は富田タクシーが駐車場代わりに使っているだけの、歯が抜けたような奇妙な空間になっているが、確かにそこにボクの家はあった。「祖谷そばのいろは」といえば、もしかすると覚えている方がいるかもしれない。もう四半世紀以上昔のことである。
 当然、お盆の間は阿波踊りの客でにぎわう。店先では、よく冷えたビールやジュースを販売。人手が足りないので、そこはボク等兄弟の担当だった。 接客は主に兄達が行なう。ボクは商品ごとの売上本数をカウントしたり、次に補充すべきのもを指示したり・・・。格好良くいえばマーケティング担当とも言えるが、実は横で見ているだけであった。それでも、兄達が大口注文の納品準備をしている間に代金の計算をしたり、別の客が手を伸ばしてきた時には接客もした。
 客にとっては、ボクの手が不自由であろうとなかろうと、知ったことではない。「早く飲みたい」その一心で手を伸ばしてくるのだ。だからボクも震える手を必死に伸ばして代金を受け取ろうとする。すると、いつもならなかなか掴めないコインがさっと掴めたりするから不思議だ。時には「早ようせーだー」と怒られたことも何度かあったが、それでもボクは嬉しかった。「こんなボクでも人の役に立つことが出来る」そう思うだけで、ものすごく嬉しかった。
 真夏の夜のよしこののリズムは、自分の体が不自由であることを忘れさせてくれいてた。そしてその感覚は、今も体に染み付いて離れない。

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