8月8日佐古愛日連最終合同練習です!

no9_2.jpg真新しい法被とピカピカの鳴り物。小さな子ども10人ぐらいを先頭に70人ぐらいが、最後の練習です。

15日の行程を谷事務局長さんにうかがうと、「残念ながら、街を踊りながら流すことができない、警察から許可が出ない」ということでした。そこで、神社の境内、駐車場、公園の三カ所で踊って、桟敷をめざすことになってしまった。

風情より安全か、よく考えたら当然なのだろうが、さみしい。

 

  no9_4.jpg阿波おどりな中納さん

 昭和4年生まれ75歳の中納フミ子さんは、流しができんのがしんだいなぁという私に、「時代にあわさな、しゃあない」といいながら自分の町に連ができたことを、心底よろこんでいる。
 「私も5歳から踊りはだいすき。当時の佐古のおどりはずっと続く問屋街を踊り、その店先のいっきゃくに、お酒やラムネを冷やして接待するん。おどりの衣装やはみなバラバラだった。
 そして戦争... 戦後も子育てやら仕事で、踊りどころではなかったから、私のおどりは5歳で止まっとん。
 ああ、これをを聞いたらお尻が浮いてくる。うれしい、ほんまにうれしい!」

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◎ちょっとだけの三味線流し、昔は町をこうして踊り歩いたのに

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阿波おどりな木内さん

 お鯉さんと、ええ勝負のよしこのが館内に響く。
 歌うのは、80歳の木内光子さん。木内さんは、三味線も鉦もなんでもできる。昔、出版社からの依頼でよしこのをソノシートに吹き込んだことがあるそうです。
 要職を持っていたこともあって、県外へよく出かけていて阿波おどりによる親善回数は数え切れないという。ビールビン1本で踊ったこともあると、次々武勇伝が飛び出してくる。

 

 

いろんな暮らしと、いろんな思いの中に阿波おどりがあった。100人を超えた生まれたばかりの愛日連で、鮮烈によみがえってきた。

Writing/宮本光夫,Photograph/幸田青滋

 

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